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「暮らしに役立つ食と防災」バックナンバー

0012024.08.27UP目玉おやじに私はなりたい

 初めまして、今泉マユ子と申します。1回目は自己紹介を兼ねて、どうして防災に力を注ぐことになったかなどをご紹介させていただきます。

原点は食育

 私が保有している資格は、管理栄養士、防災士、日本災害食学会災害食専門員、食育指導士、横浜防災ライセンス、野菜ソムリエ、調理師、水のマイスター、環境アレルギーアドバイザー、エコ・クッキングナビゲーター、オムライスアンバサダーなど多数。多くの資格をとるようになったきっかけは、”食育”です。2014年に管理栄養士の会社(株)オフィスRMを起業する前は保育園の管理栄養士をしていて、「おいしく楽しく食育」の時間を作り、園児たちと一緒に食育活動をしていました。“食育“はまさに私がやりたかったことで、園児たちと野菜や魚を見て触り、稲からお米を数えたり、栄養のこと、身体のしくみのこと、食事のマナー、お箸の持ち方など、色々なことをやりました。園児たちに正しく伝えるには自分が理解していないとできないので、食育や様々な資格の勉強を通して、野菜や水、アレルギーのことなどを学びました。園児たちと一緒に「おいしく楽しく食育」を続けたことが、今につながっています。

2011年保育園の管理栄養士時代、園児たちと「おいしく楽しく食育」の時間を楽しんでいたころ

2011年保育園の管理栄養士時代、
園児たちと「おいしく楽しく食育」
の時間を楽しんでいたころ


レトルトの女王

 テレビ、ラジオ、雑誌、新聞、WEBサイトなど、多くのメディアに出させていただいていますが、毎回私の肩書は違い、「今度は何と呼ばれるのだろう」とワクワクしています。管理栄養士、防災士、災害食専門員、防災食アドバイザーと呼ばれることもあれば、レトルトの女王、缶詰の達人、保存食の達人、ふりかけの達人、レトルトマニアなどと呼ばれることも。私は2011年3月11日、東日本大震災がきっかけで災害食の研究をはじめ、災害時に有効な食べ物を研究しているうちに、缶詰、瓶詰、レトルト食品、乾物、フリーズドライ食品に詳しくなりました。TBSテレビ「マツコの知らない世界」でレトルトパスタソースをご紹介したからか、レトルトのイメージが強いようです。缶詰やレトルト食品などに興味をもってもらえると嬉しいです。お気に入りを見つけて下さい。家にあれば、もしもの時に「あって良かった」とお役に立ってくれると思います。

2017年自宅で息子に撮ってもらいました。
    レトルト食品は本棚に並べてローリングストックしながら食べています。

2017年自宅で息子に撮ってもらいました。
レトルト食品は本棚に並べてローリングストックしながら食べています。


虫を食べた妹さん

 小学生のころ、ココアを飲もうと牛乳を温めて粉末ココアを入れてかき混ぜると何やら白い塊がある。「砂糖の塊?」と思いながらゴクゴク飲むと、その白い塊はコリコリして歯ごたえがあり、よく見ると虫!母と3つ上の姉に見せると、姉が粉末ココアをチェック。中には白い幼虫がうじゃうじゃ。ピクピク動いている物も。「うわ!」と口から吐き出そうとしたら姉に「もったいない。栄養になる!」と止められて・・・かりかり噛んでゴックン。後日、姉の友達から「あ!虫を食べた妹さんね」と言われるようになりました。粉ものは虫が湧くというのは本当ですね。その経験からか、虫を食べるのには抵抗があまりなく、今までにざざ虫など色々な虫を食べ、先日はイナゴの缶詰を開けて食べました。蜂の子の缶詰とコオロギのお菓子も家にあります。中国南京に3年間赴任しているときは、もぐらや蛇も食べました。

信州を代表する郷土食品 いなご甘露煮の缶詰

信州を代表する郷土食品 いなご甘露煮の缶詰

甘じょっぱい味付けで美味しい

甘じょっぱい味付けで美味しい


キウイでかまぼこが溶ける

 八十六歳になる父は内科医で、鎌倉の実家を離れ、今でも新潟県内の病院に単身赴任で勤務しています。実家は「医者の家庭」と一般にイメージされるほど裕福ではありませんでした。母は薬剤師でしたが、姉と私、弟の三人を育てながらパートで薬剤師として働き、家計をやりくりしていました。私は四年制大学に行きたかったのですが、母から「経済的に厳しい」と言われ、短大を選びました。ただ、短大でも取れる資格として栄養士があることも同時に教わりました。ちょうどその頃「お弁当にキウイとかまぼこを入れたら、かまぼこが溶けた」という読者の投書が新聞に掲載されていて、「面白いな、なんで溶けたんだろう」と興味を持ち、キウイの酵素がかまぼこのタンパク質を溶かすことを知りました。ワクワクした瞬間です。短大受験の面接で「この学校で何をやりたいですか?」と質問され、「キウイでかまぼこを溶かす実験をしたいです!」と答え、合格しました。


きっかけは東日本大震災

 2011年3月11日、東日本大震災がきっかけで災害食の研究をはじめました。あの日、幼稚園の年長だった息子は卒園式の前で、「お留守番してみたい」と横浜の自宅に1人でいました。出かけていた私は幸いにも30分以内に家に戻ることができましたが、友達同士でディズニーシーに行っていた中学1年生だった娘と都内にいた主人は、次の日のお昼過ぎまで家に帰ることができませんでした。この時、いつも子どもと一緒に居られるわけではないという当たり前のことに気付き、「子どもを守りたい」から「自分の身を自分で守れるようになってもらいたい」と思うようになりました。あれから13年、日々、防災と災害食を研究して防災食アドバイザーとして全国で講演を行い、子供たちにも伝えています。我が家では普段から災害食を食べたり、子供と防災グッズを点検したり、我が家のルールなど防災について話し合い、日常=防災になるように努めています。


目玉おやじに私はなりたい

 私が目指す食事は『バリアフリーレシピ®』です。子どもからご高齢にも作りやすいレシピ、外国の方、視覚、聴覚、肢体、身体の内部に障がいのある人、知的障がいのある人、発達障がいのある人、精神障がいのある人など、いつでもどこでも誰もが安心して料理を作れるレシピが理想です。災害が起きた後も普段と同じ食事ができるようにするにはどうすれば良いか、常に考えています。私の目標とする人は『ゲゲゲの鬼太郎の目玉おやじ』。かつては重い病で命を落としましたが、まだ赤ん坊だった鬼太郎への想いが強く、目玉の妖怪として生き返り、実の父親として鬼太郎のことを暖かく見守り、物知りで時に的確なアドバイスをする目玉おやじ。私もどんなときでも「大丈夫じゃぞ」と言えるように、「毎日の食事を大切にして、健康を維持すること」を心掛けて、備えの大切さをお伝えしてまいります。いつでもどんな時でも自分の好きな物が食べられますように。

2019年米子鬼太郎空港。荷物受け取りレーンで回りながら出迎えてくれる目玉おやじ

2019年米子鬼太郎空港。荷物受け取りレーンで回りながら出迎えてくれる目玉おやじ

鳥取県境港市にある水木しげる記念館にて

鳥取県境港市にある水木しげる記念館にて


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  1. 001「目玉おやじに私はなりたい」

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