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「カナダ・イヌイットの暮らし」バックナンバー

0052010.06.15UPわかちあいの文化

浜辺に集まる人びと

 上空に浮遊するカモメめがけて届かない石ころを投げる子どもたち。ポチャン、ポチャン、と石ころは寂しげに海に落ちていき、赤く染まった水面に波紋を広げます。カモメはバカにするような声で鳴きながら、ときおり、浜辺に積まれた肉片をつまみ、イヌイットの民族衣装、アマウティにくるまれた赤ん坊はおしゃぶりをくわえながら、その光景を静かに見ています。大人の男性たちは汗をかきながら、大型ナイフで、艶やかな白い肉体を器用に皮と肉部分にわけて解体していきます。
 極北の夏のひととき。ハドソン湾沿いにあるホエール・コーブ村では、このようなベルーガの解体シーンをよく見かけます。そして、白い肉体をめがけて、人びとがスーパーのビニール袋片手にどこからともなく集まってきます。

カモメに石を投げる子どもたち
カモメに石を投げる子どもたち

ベルーガの解体
ベルーガの解体

わかちあいの文化

 40代の男女から子どもたちまで、集まってきた人たちは、ベルーガの肉片をビニール袋につめます。そして、1片、2・4キロほどあるベルーガの皮を家に持ち帰ります。
 「おばあちゃんの分も持っていったら?」
 解体している男性が子どもに声をかけます。子どもはさらにベルーガの皮をビニール袋につめます。老人たちは自ら狩猟に行くことはできません。しかし、スーパーで買った西洋風の食料ではなく、古くから慣れ親しんだものを食べたいのです。
 イヌイットの文化では、「獲物はとった人だけのもの」ではありません。いまよりも狩猟活動が困難だった、移動生活時代。厳しい自然環境のなか、とった獲物は家族や親族だけではなく、グループ全体、社会全体で共有され、分配されていました。ホエール・コーブ村のような小さなコミュニティでは、いまでも「わかちあいの文化」が残っているのです。
 かたや州都のイカルイトのような大きな町では、人間のつながりは希薄で、分配の様子を見かけることはそうありません。イカルイトのスーパーでは、カリブーの肉やホッキョクイワナを買うことができますが、ホエール・コーブでは買えない、というのもその証かもしれません。

ベルーガをわかちあう
ベルーガをわかちあう

子どもも参加
子どもも参加

狩りをした日の夜の食事

 狩猟で獲物をとった夜。親戚、友人たちが集まり、自然に夕食がはじまります。床におもむろに敷かれるダンボール。その上にベルーガの皮部分をどんとのせます。女性が「ウルゥ」とよばれる半月形のナイフでベルーガを器用に切りわけ、たくさんある脂肪部分を取り除き、残った皮部分だけを食べるのです。ベルーガの皮部分は「マクタック」と呼ばれ、多くのイヌイットが好んで食べるポピュラーな食材。ときに塩をふりかけ、また、魚醤につけて食べます。弾力性があり、噛めば噛むほど味が口中に広がります。一方、脂肪部分は蓋に穴を開けた空瓶に入れ、1、2週間ほど発酵させます。「ミシガ」と呼ばれるこの調味料は、カリブーの生肉につけると絶品です。若い人のなかでは強烈な発酵臭のため食べられない人もいますが……。

 食事の時間は不定期です。ほとんどの人が食べ終わったかな、と思ったら、また次から次へと人が訪問。おもむろにダンボールのまわりに車座になり、食べはじめます。ときおり、「まだマクタックあったら持ってきて」なんて電話があることも。親族が持ってきたホッキョクイワナやカリブーもダンボールの上におかれます。そして、今日の猟はこうだった、ああだった、と自然に会話が弾みます。

 「わかちあい」により、「コミュニケーション」し、人間関係のつながりを確認する。そして、有限の資源を共有する。ひいては、それらは社会関係の維持につながります。日本でも地方では里山管理などで、「わかちあい」の精神はありますが、都会人には忘れられている感覚かもしれません。
 地元でとれた自然の恵みを味わいながら、みんなでわかちあう。そして、団欒。イヌイットにとって、これが至福のひとときかもしれません。

「ウルゥ」と呼ばれるナイフ
    「ウルゥ」と呼ばれるナイフ

ウルゥを使いながらベルーガを食す
ウルゥを使いながらベルーガを食す

夜の団らんシーン
夜の団らんシーン

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