「『いいや、僕は水はちっとも怖くないですよ。だってそのはずでしょう、僕の身体の大部分は水なんだから。ね、そうじゃないですか? 僕たちの身体には、海の水とほとんど同じ成分の塩分を含んだ水がいっぱい詰まっている。だから海は生まれつき僕たちの要素ですよ。ええ、僕にとって怖いのは水じゃなくて、冷たさだけですね。とにかく、僕は水に入っても、沈みやしません』」
(C.W.ニコル著、松田銑・藁科れい訳『ティキシィ』角川書店より)
上記の言葉は、若かりしころから極北の地に足を運び、長年イヌイットと生活をともにした作家C.W.ニコル氏の著作のなかにでてくる、イヌイットの言葉です。カナダ極北地方のイヌイットが居住するほとんどのコミュニティは、透明な海と冷たい氷にかこまれています。言うまでもないことですが、人間にとって、水は欠かすことができないもの。
前回、狩猟時の水との関わりについての話を書きました。今回は彼らが日常生活でどのように水と接しているのか、のぞいてみたいと思います。
大型トラックが小さな村を行き来する。どの家にもかならず入口の横に家の住所を記した番号つきのタンクがあります。その横にトラックを止める運転手。人呼んで、「ウォーター・トラック」。
平日の朝はトラックのエンジン音と給水の音から始まります。給水は1日2回。トラックからホースを使い、家のそれぞれのタンクに給水します。水が足りなくなったときは役場に連絡すれば、いつでも「ウォーター・トラック」が給水に来てくれます。村から5キロほど離れた給水場と村を一日に何往復もします。
給水場といっても、立派な施設があるわけではありません。大きな貯水場に小屋がポツリとあるだけ。
ヌナブト準州の州都イカルイト(人口約6000人)のような大きなコミュニティでは、下水道設備が整っているため、「ウォーター・トラック」を見かけることはありません。
「ウォーター・トラック」で給水された水は飲料用に適さないため、飲み水以外の生活用水になります。洗濯、トイレ、お風呂……といった具合に。
シャワーを浴びているとき、タンクの水がなくなることもしばしば。ですので、使う前はかならず水タンクを確認する習慣がついています。
飲み水は家庭によって違いますが、トラック、もしくはホンダ製の三輪バギーでポリタンクを持って、近くの岩場にたまっている雨水を汲みに行きます。彼らはこれを「クリーン・ウォーター」と読んでいますが、文字どおり、「クリーン」なわけではありません。よく見ると、ボウフラのようなものが浮いている……。ですが、日常生活ではこれを飲み水として使用します。
家庭によってはボートを出し、村から少し離れた岩場の水たまりに汲みに行きます。子どもたちは「クリーン・ウォーター」で作られた粉末ジュースを飲み、大人たちは煮沸してコーヒーや紅茶を飲むのです。
村に一軒ある生協運営のスーパーにはペットボトルにはいったミネラル・ウォーターが売っています。ですが、これらを買っている人を見かけたことはありません。賞味期限が切れたものもチラホラ。
2001年にイヌイットの若者たちが文化交流のため、日本を訪れたことがあります。彼らの旅に同行したのですが、彼らがコンビニエンスストアに並ぶ、何種類もの水に驚いていたのを思い出されます。
「蛇口ひねれば水がでる」生活は、ぼくたちも彼らも変わることはありません。ただ、ぼくたちの生活では、「水はどこからきて、どこにいくのか」を実感することは多くありません。この使った水が「どこにいくのか」も、極北の水事情では悩ましいところでもあります。
次回はこの使った水とゴミがどこにいくのか、触れてみたいと思います。
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