新月のとき、雲に覆われた真夜中の森は深海のような真の闇になります。それでも目が慣れてくると、闇は均質な黒一色ではないことがわかってきます。森の闇は、砂紋のようなモノトーンの幾筋ものうねりが織りあってできているのです。しかし、私がよく訪れる森は、西武秩父線の駅から歩いても40分ほどのところにあり、車の音や人の気配を身近に感じられるので霊性とは無縁です。
しかし、夜半から夜明けまでの6時間以上も森の闇に潜んでいるとき、心に浮かんでくる様々な憶いは、私にとっては貴重な財産になります。私の思考の究極は、縄文時代の森へタイムスリップすることで得られます。
縄文の人たちは、何も見えない真っ暗な森で何を思っていたのでしょう。視界が無くなると、人は音や臭いに対して異状に敏感になります。きっと徘徊するケモノの鼻息や臭いが間近に感じられ、遠くからはオオカミの遠吠えが聞こえてきて恐怖心を煽ります。真夜中を過ぎるとフクロウが怪しげに囁いてきます。縄文の人たちにとって、森の真っ暗な闇は魑魅魍魎の世界だったに違いありません。
私は古代の人々が森の中に神の存在を信じる以前に、実は、ものの怪や妖怪の姿を想像して怯えていたのではないかと考えています。その巨大な恐怖に打ち勝つために、超自然的な何かに、そして遂には神に救いを求めるようになったのでしょう。しかし、神という概念が人々の心に降りる前に、森の闇の恐怖に打ち勝つために、最初は強いリーダーを求めたのではないかと思います。
リーダーを目指す人は、さらにより強い験力を得るために、深い森に入り、特別な場所を探して、何ヶ月も、何年も修行するようになったようです。縄文時代晩期には、すでに呪術師が存在していた
という話も伝わっています。
日本には、自然豊かな山や森に、修験者が修行してきた特別な場所が数多く存在し、今も保存されているので、私はよく訪ねて行きます。
その代表例として、龍岩寺奥院礼堂(大分県宇佐市)と三仏寺奥院投入堂(鳥取県三朝町)を紹介します。
龍岩寺奥院礼堂と三仏寺投入堂には、両方とも修行する最適の自然条件が揃っていました。高い断崖絶壁に深くえぐられている岩窟の道場は、風雨から守られているだけでなく、背後からのケモノの襲撃も気にしなくてすみます。さらに、この二カ所には前方には眺望が開けているので、地球や宇宙に思考の翼を広げることも可能です。
龍岩寺の奥院には、どんなに天気が続いても決して枯れない泉が崖地の外れにあって、長期間修行するための条件が揃っています。この奥院には、昔天狗が住み着いて、村人に悪さをしたという言い伝えがあることから、実際に行者が修行していたことは間違いないでしょう。
三仏寺投入堂を訪ねるには、うっかりすると転げ落ちるような急峻な山道を1時間近くかけて登らなくてはいけません。投入堂は日本一危険な国宝とも言われる由縁です。
こんなヤマセミが巣をつくるような断崖絶壁に、誰が、どのようにしてお堂をつくったのか不思議です。伝説では、飛鳥時代に山伏の開祖と称された超能力者の役小角(えんのおづぬ)が、平地でお堂を作ってから岩窟に投げ入れたとされています。しかし、投入れ堂も龍岩寺奥院礼堂も、平安時代の建築様式で造られているので、やはり、後世のお話でしかないようです。
我々の祖先が、日本列島で生活を始めたのは1万6千年以上も前のことです。そのときから、人々の生活は森とともにありました。人々の多くが街に住み、文字を使いこなして文化的な生活を始めてから、まだわずか1500年ほどの歴史しかありません。
澄んだ空気、清浄な水、食料、住まいの資材、薪などのエネルギー源、生薬やハーブなどはもちろんですが、魑魅魍魎が跋扈する闇のストレスに打ち克つための精神的なパワーも、直接森から得て暮らしていました。寺院や神殿に籠もり、仏像を拝むようになった時代は、日本人の歴史の長さからすれば、ごくごく最近のことなのです。
古代の人々は、山と森の普遍的な場所に、自由に神のような存在を感じられて、生きる力を得ていたと思われます。しかし、いつのまにか特定の神殿や仏像に閉じ込められるようになってしまいました。その結果、人々に恐れや不安を抱かせるような気配だけが、森のあらゆるところに蔓延したまま残されてしまったのです。
現代の私たちは、お花見や紅葉狩りに、毎年、何百万人の人たちが出かけます。神社や寺院に出かける人も、数ではディズニーランドやユニバーサルスタジオに遊びに行く人に負けません。それほど、現代人の心の中には、縄文時代以来の森や山岳信仰への畏敬の念が残っています。
しかし、殆どの人は深夜の森へ一人で入ることは嫌がります。やはり、スマホを持っている現代人でも、森の暗闇には妖怪が棲んでいるかもしれないと思ってしまうのです。
私は普通の森の中で、ストレスにまみれた心を癒す拠点を、40年以上も前から、静岡県伊豆市、山形県上山市、埼玉県飯能市、岩手県岩泉町などに作ってきました。今年は、大分県湯布院市の森でも実現するかもしれません。
神話に登場するような神に出会うための施設ではありませんので、豪華な神殿も建てませんし、ありがたい仏像も安置しません。ツリーハウスや広さ6帖以下の円形に近い木造の小屋がメインです。大昔、私たちの祖先が森に感じた気持ちに寄り添うための空間です。そこでは、森の24時間、森の四季折々の表情、森の数年にわたる推移などが体験できます。
私は長年にわたり森に親しんできた体験をまとめて「親森学」として体系化することにしました。
親森学では、森に感謝する気持ちを大事にしながら、“森を調べる” “森から学ぶ” “森から癒される” “森を活かす” “森で暮らす”を中心に学びながら、新しい森づくりを実践します。
親森学を学ぶための親森学校も開校し、新しい感覚の森づくりを一緒にできる仲間を増やそうと思っています。
親森学は、2016年秋に開催する講演会(主催:NPO日本環境調査会)から始まります。
私が森の中で瞑想していたとき、森はまだまだ黒い世界のままなのに、どこか遠くから小鳥の鳴き声が一つだけ、突然聞こえてきました。そうすると、すぐ他の鳥が続き、その後は、時の過ぎ行くままに、鳥の声はどんどんその数と種類を増していきます。一番高い木の頂部に陽があたり、森の色が蘇り始めるころには、ベートーベンの「交響曲第9番・合唱」のクライマックスのように、無数の鳥の声が四方八方に溢れ、森は感動的な夜明けを迎えます。
生の喜びを歌い上げる森のシンフォニーを、どこの森でも、私たちが毎日のように聞く事ができたら、どんなに素晴らしいでしょう。
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