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「週末は森で暮らす」バックナンバー

0012015.06.30UP森に育てられた私たち

森は心のふるさと

 風が爽やかに吹き抜ける自然林の中に入ると、誰でも懐かしい気持ちに満たされます。私たちが、農業や牧畜などにより、食料を手にしはじめたのは、たかだか2500年くらい前のことです。人類誕生から縄文時代までの二百万年以上は、ほとんど森の恵みだけを頼りに、私たちの祖先は生きてきたのですから、森に特別な憶いを抱くのは当然のことでしょう。
 私たちが生きるために必要な、澄んだ空気や清冽な水、植物や動物などから得られる多種多様な食物、雨風をしのぐ家、寒さに耐える衣類、調理に使ったり家を暖めたりする火、そして病気になったときに必要な生薬などは全て森にあったのです。我々の心の奥底に森への感謝の気持ちと畏敬の念が潜んでいるのは当然です。
 私は、いつもは都心で建築設計の仕事をしていますが、週末や休日になると、つい森に出かけたくなってしまいます。

森の素晴らしさを体験

 森の良さを体験したことのある人が、非常に少なくなっています。特に若い人に顕著です。バーベキューやスポーツなどのイベントに積極的な参加意欲を示す人たちに“森の中で長時間滞在しませんか”と言っても、“何があるのかしら”と不思議そうな反応が返ってくるだけです。森の素晴らしさを知らない人をお誘いしても、なかなか快い返事はもらえません。

 夜明けに鳥が一斉に目覚め、辺り一面の世界に色彩が戻る瞬間は非常に劇的で、何度味わっても感動ものです。陽が山影に落ちて、空が真っ赤に染まるときは、だれだって気分は詩人です。
 新緑や紅葉の森の気持ちよさは、誰でもわかってもらえると思います。でもそれだけでなく、真冬の雪に囲まれた山小屋で、拾ってきた枯れ枝を薪ストーブにくべながら一晩過ごすのもまた心落ち着くものです。実際に体験してみれば、誰でも病みつきになります。
 春・夏・秋・冬それぞれの季節に、同じ森の中で24時間滞在する体験をしてみれば、森の神髄の一端に触れることができるでしょう。

荒れ始めている日本の森

 植生が豊かで美しい森がどんどん少なくなっています。林業の衰退とともに、山を整備する人が少なくなったことも、一因かもしれません。
 一方で、ハイキングや登山、スキーに今流行のトレイルランなどレジャーやスポーツを通して自然に親しむ人は増えています。でも、その中にどれだけの人が、森の本来のあり方に関心を持っているでしょうか。なかには、稀少な野草を根こそぎ採って帰る心ない人がいたり、車の窓からゴミを投げ捨てたりするドライバーもいます。

 良く整備された若々しい森でなければ、酸素の濃い空気の美味しさを味わうことはできません。整備が遅れて痛んだ森では、源流の水も清冽さを失っていて、魚や鳥にとっての生育環境も悪くなってしまうのです。

日本の森の再生に向けて

 荒れ始めた日本の森ですが、まだ国土面積の66%以上も残っています。文明を発達させた国として、これほどの森が残っているのは奇跡と言われています。日本の森のほとんどが山間部の急斜面にあるため開発を免れたことも理由の一つです。しかし、それだけではありません。多くの日本人の心の中には、森の恵みに感謝する自然崇拝の尊い気持ちがまだまだ残っている証なのだと思います。
 日本人は、生きた木を切るときや、放置された倒木を見るときに、どこか後ろめたい気持ちを抱きます。それは、私たちの先祖が長い間にわたって、森の恵みに生かされてきた記憶が共通感覚として残っているからなのではないでしょうか。

 私は森の基地づくりとして、埼玉県飯能市、山形県上山市、岩手県岩泉町で、ツリーハウスや宿泊用の小屋、バイオトイレ、雨水循環浄化システムなどを森の仲間とつくってきました。近頃、その作業を多くの若い人が手伝ってくれるようになり、勇気づけられています。
 これからも森の仲間がもっと増えることを期待しながら、未来に活かす森づくりを続けていきたいと思っています。


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バックナンバー

  1. 001「森に育てられた私たち」
  2. 002「森に棲む家」
  3. 003「森で聞くJAZZ」
  4. 004「私のツリーハウス体験」
  5. 005「オオカミの森」
  6. 006「森のシンフォニー」

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