狼犬のハイブリッドウルフに対面したとき、首筋に鋭利な刃物をあてられたような戦慄が、私の全身を駆け抜けました。昨年の2月、有名な女性ブリーダーが運営する千葉県館山にある施設を訪れたときのことです。
大型犬とオオカミの交配により生まれたハイブリッドウルフですが、オオカミの割合が75%以上と高いので、外見も性格も身体能力も強くオオカミの特徴を残しています。
ハイブリッドウルフは、初対面の人に対して、決して愛想良く尻尾を振ったりしません。視線を私に向けたまま、チャンピオンシップを戦うボクサーのように、どんな私の動きにも対応できるよう休みなく身体を動かし続けます。カメラを構えると武器を向けられたように感じるのでしょうか、瞬きする間に身をひるがえして、奥へ姿を隠します。しかし、私の存在が気にかかるのでしょうか、すぐ戦闘体勢を維持したまま出てきて、私に焦点を合わせつづけます。
よほど跳躍力が高いのでしょう、私がよそ見をしている一瞬の間に、架台の上に乗っていて、私を睥睨していました。まるで瞬間移動したかのようで、動いた気配すら感じさせません。2mくらいの高さの塀などは、力も入れずに軽々と飛び越えてしまうそうです。
私はカメラを腰に構えたまま、指先の動きだけでシャッターを押して、やっと写真を撮ることができました。
こんなにも激しく心ゆさぶられる動物に出会ったのは初めての経験です。縄文時代あるいは遥かそれ以前から、私たちの先祖は森の中で、オオカミと絶えず接して暮らしてきたはずです。私の身体に染み付いていた記憶が蘇ってきたにちがいありません。
東京周辺にオオカミを神の使者として祀る神社が二社あります。秩父市三峰山の三峯神社と青梅市御岳山(みたけさん)の山の上にある御嶽神社で、両社とも狛犬はオオカミです。
御嶽神社には、JR御嶽駅からバスとケーブルカーを乗り継ぎ、参道を30分ほど歩くと着いてしまいますので、週末はいつも大勢の人でにぎわっています。参道を歩いていると、犬と一緒にお参りに来ている人を多く見かけます。ケーブルカーには犬のための席も用意されているほどです。
昔々ヤマトタケルが御岳山を訪れた際に受けた難儀を、オオカミに救われたという伝説から、オオカミが「おいぬさま」として崇められ続けられているからかもしれませんし、あるいは単純に、オオカミが犬の祖先であるからかもしれません。犬もお参りする神社は、全国的に珍しいと思います。
御嶽神社の拝殿の奥に大口真神社(おおぐちまがみしゃ)がありますが、最初、この地には遥拝所だけがありました。遥拝所とは霊山を仰ぎ見る特別な場所のことです。
御嶽神社の奥宮遥拝所からは、奥の院と称されている端正な山容の頂上を仰ぎ見ることができます。霊山には神霊が降りる、と信じられていました。
山岳信仰の神社の多くは、修験道場でもあった霊山を遥拝する場所に建てられています。例えば、霊峰富士の周辺には、八つの浅間神社がありますが、その一番古いといわれる山宮浅間神社には本殿がなく、神木だけが立つ遥拝所なのです。
古代の日本では、オオカミが支配する森に囲まれた美しい山や、あるいは磐座や巨樹が神の降りる依代として、信仰の対象になっていました。そこに本殿が設けられ、儀式が洗練され、神道として昇華されるのは、飛鳥時代以降のことです。
日本の森でオオカミが目撃された最後の情報は明治38年です。ニホンオオカミが絶滅した後、森の生態系が壊れただけでなく、森の霊性も失われてしまい、森の荒廃が始まりました。オオカミは、大神と表記されることからもわかるように、何万年もの間、森の守り神だったのです。
天敵がいなくなったシカやイノシシなど大型の動物が異常に増えて、森や里山の生態系が壊れてしまいした。さらに、森に神性を見いだせなくなった人々は、森を、ハイキング、登山、スキー、トレイルランなどスポーツ系レジャーや、癒しを求めて別荘や保養所建設の対象としかみなくなりました。パワースポットという言葉も信仰とは全く関係のない、実は観光産業を盛り立てるキーワードの一つでしかありません。
アメリカのイエローストーン国立公園のように、絶滅したオオカミを森に再び呼び戻して、生態系が完全に元に戻ったという成功例があります。でも一つの群れに1000平方キローメートルの森が必要といわれるオオカミの再導入は、森の絶対的な面積が小さい日本では現実的ではないと思います。
「オオカミの森」が消滅してしまった時代に、山と森に、霊性や神秘性を取り戻すためにどのような方法があるのか、次回にご紹介しましょう。
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