1990年から2000年頃に海外で生産されていたオーガニックコットンの生地や製品はあまりにもアマチュア的で、土臭く、洗練されていませんでした。
それはオーガニックコットンがヒッピーたちによって広まったということに由来するのかもしれません。そして、長いことプロのテキスタイルデザイナーやファッションデザイナーが参入しない世界でもありました。
当時、世界でつくられる生地や製品をそのまま日本に輸入して商売になるとは、決して考えられませんでした。糸を輸入すればクオリティが悪く日本の機屋(はたや)さんから大クレームになり、生地を輸入すれば、その粗野な風合いがとても日本人に受け入れられるものではなかったのです。
そんな経験を踏まえ、私は数人の仲間達と世界に通じる洗練された生地、製品を日本で作ることを目指しました。
1993年に日本テキサスオーガニックコットン協会という任意団体を9社で構成して設立。テキサスのオーガニックコットンの原綿を日本で糸にして、生地をつくり最終製品にしていくという行程を、環境に配慮した基準を設けて行うと同時に、オーガニックコットンの普及啓発に乗り出したのです。
そのときに私は初めて、日本にはこれだけ多くの繊維の産地があり、それぞれに特徴ある技術と伝統が今も残っているということを知りました。
北は米沢から南は鹿児島まで、とにかく一軒一軒お願いに参上し、通常より手間隙のかかるオーガニックコットンの生産にご協力をお願いしてまわりました。おかげさまで現在は、日本の津々浦々、およそ150社で当社のオーガニックコットンの糸、生地、製品を作ってもらっています。
当時、私は繊維業界ではまったくの素人。オーガニックコットンの商売の可能性など何もわからないときでしたから、そんな中でご協力をいただいたのは、私の何もわからんチンの素人のなせる技だったのでしょうか?!
そして、10数年前から日本製のオーガニックコットンの生地や製品を海外の展示会に出展し、その度に海外の皆さんから賞賛のお声をいただいています。
作っている生地は洋服用で和服用ではありませんが、展示会のブースにこられた人はみんな一様に“Japanease”と言ってくれます。私は、日本人のDNAがしっかりと伝わるオーガニックコットンの生地、製品たちを見て本当に誇りに思います。
そしてその気持ちを後押しするがごとく、スイスの一流の紡績会社の社員が言ってくれます。
『オーガニックコットンのロールスロイス』
それは、製品だけでなく、日本の繊維産業と職人さんたちの技術に対する賛辞に聞こえました。そのお褒めの言葉をエネルギーに変えてこれからもがんばれそうです。
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