原稿が滞ってしまいました。私自身が講演依頼に追われ、同時に私たち天然住宅の木材を供給してくれていた株式会社栗駒木材が、最も揺れの大きかった宮城県栗原市にあったためです。震災後丸一週間、連絡が取れなくなりました。やっと連絡が取れて、『大丈夫だった?』と聞くと、『会社は一人のけが人もいないし、家も一件も壊れていない』という返事。安心したのもつかの間、『でもぼくら、周囲の被災者を助けようと思って手伝ってきて、金を使ってしまったので支援金と物資を送ってほしい』という事態でした。詳しく聞くと、津波被災地に物資を届けていたのです。私たち天然住宅も臨戦態勢に入りました。
早速「くりこま基金」を設けて支援金を集める一方、たくさんの支援物資を届けに行きました。南三陸町や気仙沼を訪ねると、想像以上の被害です。人々は体育館のような寒い場所、また誰も気づかないような小規模な避難所に避難していました。そこに届けたペレットストーブ【1】は、一緒に届けた小さな発電機で動き、一台で60畳の広さを暖められるので、とても喜ばれました。
次の段階が仮設住宅です。しかし被災地で見たのは勉強部屋のような、断熱性能のない、ベニヤと接着剤を多用した仮設住宅でした。しかも素材は外材が多く、森だらけの東北なのに彼らの木材はほとんど使われていません。これではまずい、このままでは東北はさらに経済的に沈んでしまうと危機感を覚えました。
私たちは早速、「仮設じゃない復興住宅」モデルを設計しました。地場の木材を使い、地域の人たちが建て、必要になったら移設可能な【2】、百年以上使える伝統建築の、断熱性の高い10坪ほどの住宅です。たまたま友人が気仙沼で被災していたこともあり、地域の習慣や人々のニーズに合わせた復興モデル住宅を建てられることになりました。しかし仮設住宅として生かすことはできませんでした。仮設住宅はわずか10数社の規格だけに独占されていたのです。
私たちは復興住宅のために、天然住宅バンクの融資を組みました。毎月3万円ほどの家賃を払えば、15年弱で自分のものになる仕組みです。
意外だったのは、この住宅を都市部の人たちが欲しがったことです。でもそれも案外いい方法です。今建っている住宅も壊すには忍びない。それなら人間が住む空間として小さな復興住宅を庭に建て、それまでの家を物置にしてもいいのです。今回の震災で被災者が言っていた言葉が印象的でした。『これまで荷物を持ちすぎた。必要ないものに囲まれて自分たちのつながりと能力を忘れかけてた。これからは必要なものだけで暮らすよ』と。
そこでぼくの頭にこんな標語が浮かびました。「荷物だけなら小屋でいい、人が住むなら天然住宅」です。私たちの家の中はほとんど荷物に占拠されています。でも本当は、住宅とは人が暮らす場所であって、荷物を置くための空間ではないのです。荷物と人を分けて考えたなら、私たちが暮らす場所には健康な素材を使ってきちんと断熱して、荷物だけの部分はそこまでしなくてもいいのです。そう考えると、多くの人たちがこの小さな復興住宅を希望するのもうなづけます。小さいけれども水回りの設備も付属するので割高になるのですが、それでもかなり格安に設計しました。天然住宅が、こんな形で実現していくのも面白いと思います。人が住む空間と荷物置き場を分けて、人が暮らす空間を安心・安全にすればいいのです。
日本古来の建築法・素材を使用する方法に賛成です。暑い暑いと言ってる間に厳しい冬将軍の到来です。一刻も早く建築される事を希望します。前例として規模は違いますが、奥尻島・青苗地区の再生も加味して、三陸海岸の被災者の皆さんに基盤を与えて下さい。
(2011.07.13)
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