福岡県北九州市に竹チェロをつくっている人がいると聞き、訪ねた。開発したのは、竹凛共振プロジェクトを主宰する田中昇三さん。
竹チェロとは、文字通り、竹からつくったチェロのことだ。胴体こそチェロ特有のひょうたんのような分厚い箱型とは異なり、竹の節そのものの形を残しているものの、椅子に座って両脚を開き、左右の脚の間に胴体部分を挟むように立てかけた竹チェロを手に弓を弾く姿は、まさにチェロの演奏そのものといえる。実際に音を出してもらうと、ビブラートの効いた重低音が部屋中に響き渡る。意外に本格的な音が鳴り響くことに驚きと感動を抱かせる、実にユニークな楽器だ。
音色について本職のチェロ奏者に聞くと、「重低音は竹独特の透き通る美しい響きを発している」と高い評価を与える一方で、竹ならではの音色はむしろチェロとは似て非なるオリジナルの楽器と捉えた方がよいともいう。開発者の田中さんも、そもそも肉厚の竹では既存のチェロやヴァイオリンと同じような原理で音を出すことは期待できないと話す。
「弦も弓も本物のチェロのものを使っています。基本、弦本来の固有振動数に基づいた音が出ますから、それほどかけ離れた音にはならないのです。ただ、音の鳴る原理は異なります。既存の完成されたチェロやヴァイオリンでは、薄い板を重ねて箱型構造にすることで『胴鳴り』という現象を起こして共鳴させるのですが、竹は材質が肉厚ですから、胴鳴りを期待することはそもそもできないというのが頭にありました。これはもうサイレント楽器にしようと、最初から思っていたのです」
竹チェロの場合、既存のチェロで左右に1つずつ空いている「f字孔」と呼ばれる孔が、下側でつなげて、U字型のベロ構造をとっている。弦の振動がこのベロ構造に伝わって増幅されることで、竹の振動音として音が鳴るわけだ。コンサートホールなど大きな会場では、小型のピックアップマイクで拾った音をアンプを通してスピーカーで伝えるが、音そのものは竹の振動によって起こっている。
田中さんが竹チェロを構想したきっかけは、北九州市小倉南区に広がる合馬地区の竹林整備にかかわったことがきっかけだったという。
かつて八幡製鐵所内の石炭やコークスを運ぶために使われた、「えぶしょうけ」と呼ばれる竹で編んだ笊の生産が盛んだったこともあって、北九州市には広大な竹林が広がっている。市内の竹林面積は1,500haにわたり、市町村単位では全国有数の広さを誇る。さらに合馬地区の土壌は、粘土質の赤土で、タケノコの生産にも適していて、現在はブランドタケノコの生産地として、地元九州では無論、西日本を中心によく知られている。JA北九(北九州農業協同組合)の地域団体商標でもある「合馬たけのこ」は、関西市場で最も単価の高い極上品として取引されているという。
ただ、広大な面積があるからこそ、維持管理の手が及ばずに荒廃したり、まわりに侵食して広がったりしている現実もある。
「合馬という地区に竹林があります。ブランドタケノコの生産地として経済的に成り立っている地域ですが、タケノコは季節ものなので、農業をやりながら竹林整備をしているような状況です。生産農家さんも高齢化によって十分に整備ができなくなってきています。そのため、地域で自然にかかわりながら竹林を整備するボランティア団体が立ち上がったのです。かれこれ7?8年前だったと思います。そのボランティア団体の手伝いに行ったのが、竹とかかわる最初のきっかけになりました。もともと自然好きで山にもしょっちゅう遊びに出かけていましたから、自然に戯れるという意識で手伝いに参加したんですね」
竹林整備の作業では、伐った竹を、一部は竹炭に活用することもあったものの、ほとんどその場で焼却していた。もったいないし、かわいそうな気もして、何か利用できないかと考えていた時に、降って湧いたように思いついたのが、竹チェロだったという。
試行錯誤の結果として生まれた竹チェロかと思いきや、案外すんなりと今の形を思いついたと田中さんは言う。もともと音楽が好きだったから、鳴るものは何でも手を出していた。竹の中空構造を生かすには楽器がいい。ただ、笛や打楽器ではありきたりだ。どうせ作るのなら、これまで世の中にないものを作ってみたい。それなら弦楽器がいいんじゃないか。しかも森の中から伐り出した竹材を活かすという意味で、チェロがいいとすぐに思い付いた。若い頃から愛読していた、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」からの発想だ。まさに「森の中の演奏家」の姿が思い浮かんだわけだった。
現在、田中さんはプロの奏者たちとともに楽団を作って、竹関係のイベントや環境関係のイベントなどを中心に演奏会をしている。竹チェロのみならず、竹ヴァイオリンなどのバリエーションもできている。弦はもともとの楽器と同じものを使い、竹のサイズを楽器本来のサイズに合わせることで、原理的にはどんな弦楽器でも竹で作れるという。
北九州市では、2018年4月にはOECDの「SDGs推進に向けた世界のモデル都市」として、また同年6月には国の「SDGs未来都市」及び「自治体SDGsモデル事業」として選定されるなど、近年は特にSDGsの普及啓発に力を入れているから、荒廃する竹林の整備と竹活用をテーマにした田中さんの活動とも合致する。
「楽団のメンバーは、普段は普通の楽器を使っている演奏家の方々です。私は素人ですからメインでは弾かないんですけど、プロの演奏家が弾いてくれるから、ちゃんとした楽器だということが伝わるんだと思います。皆さん、竹チェロをおもしろがって演奏してくれているんですよ」
こうして竹弦楽器による演奏会を開いていると、見た目のインパクトとともに竹楽器ならではの音色に魅入られる人たちが少なからず現れるという。曰く、私もこんな竹楽器を弾いてみたい、というわけだ。
竹チェロは販売もしているが、製作ワークショップに参加して、自分自身の手で自分が演奏するための1台を作り上げることもできる。
参加しているのは、ほとんどノコギリも満足に持ったことがなかったという素人の人たちばかり。1回あたり2時間を月2回で3か月間、全6回の合計12時間で竹林から伐り出してきた青竹から自分のための楽器が仕上がるという手軽さだ。1回の講座で5人が限度だが、構造自体はシンプルだから、きちんと指導すれば誰でも作れるようになる。
製作ワークショップを始めることになった最初の取っ掛かりが、とあるカルチャースクールの講座として企画してほしいと依頼されたことだった。現在は、市内の市民センターなどでも実施していて、これまでの累計では、百数十人ほどが作ってきた計算になる。
こうして作った竹チェロの演奏を楽しむアマチュアの楽団も、今や市内に複数できているという。将来的には、北九州市内に120ほどある市民センターに1つずつ竹チェロ楽団ができるくらい普及してほしいと田中さんは言う。
バルセロナ出身のチェリストの九十九太一さんとの出会いも大きな契機になった。スペイン国籍でバルセロナ生まれ。7歳でチェロを始めたあと、スペインやイタリアの音楽学校で修業を重ね、プロの演奏家としての活動を続けている。親が福岡県生まれということもあって、日本にも年に1度ほど訪れている。
もともと、演奏活動の傍ら、高価なチェロの演奏を手軽に楽しんでほしいと、バルセロナの子どもたちを対象に、手作り楽器のワークショップや演奏指導の活動をしていた九十九さんが、ふとした偶然で竹チェロのことを知って、ぜひいっしょに何かできないかと問い合わせてきたのが2年ほど前のことだった。合同コンサートで、竹チェロ演奏も披露している。
竹凛共振プロジェクトは、今のところ楽器の製作と演奏がメインの活動になっているが、福岡大学に事務局を置く「竹イノベーション研究会」にも参加して、いろいろな活動に携わる機会も得てきた。
西日本工業大学のゼミとの連携で実施してきた「竹林資源の活用による地域活性化事業」では、デザイン活用による竹林の資源化を通じて、放置竹林の現状や課題、活用方法等について調査し、理解を深めて、実践的研究から問題解決に向けた活動を展開するという内容でカリキュラム開発に協力した。
放置竹林の現状と、一方で管理された竹林を比較することで、整備によってこれだけの違いが生じることを実地に見てもらうところから始めた。伐採した竹を活用してできることの一つとして、竹チェロづくりを体験し、その楽器を使って、学生みんなで演奏会を企画する。さらに、普及啓発・地域貢献の展開として、地域のイベントや展示に参加して、ワークショップを開催するなど多方面への展開を模索した。
子ども向けの活動も実施している。各地の市民センターで実施する演奏活動などのほか、2019年の春にスタートした北九州市立総合農事センターの主催事業「NOUJI学園」では、小学校手?中学年をメイン対象に“生きるチカラ”を育くむ体験学習を展開するプロジェクトに参画している。「生きるとは?」をテーマにさまざまなカリキュラムが構成される中、田中さんは竹をテーマにした講座を提供する。子どもたちがいきなり楽器を作るのは難しいので、延長線上に竹楽器づくりを見据えながら、まずは竹のマイ箸を作るところから始めようという企画だ。
竹凛共振プロジェクトがめざしているのは、音楽と竹を通じて社会とのかかわりを捉え直すこと。
「ぼくがよく言っているのは、音楽で人々の心を開きたいということです。“競争”することで自分の資質を高めるのもいいんですけど、音楽はそれとは違って、人と合わせることで価値が生まれるものです。人と協調しながら、いかにうまく、いい音を創り出すかを追求する、いわば“共創”です。それって、人間社会において本来的なことじゃないかと思うんですね。お互いに認め合うということが素晴らしい、美しい響きを発するということですよね」
65歳を過ぎて、若い頃とは180度違う生き方をしていると田中さんは言う。かつては経済社会の中で、競争を勝ち抜いて、勝ち組になるべく生きてきたのに対して、競ったり奪い合ったりするのではない、もっと違った生き方もできるんじゃないかということをしきりと考えるようになってきた。北九州市をはじめ、世界的にもSDGsの重要性が叫ばれていて、田中さんの活動もその一環として位置付けている。持続可能なライフスタイルの一つの形として、竹凛共振プロジェクトを若い人たちにも担ってもらうのが今後めざしていきたいことだと田中さんは言う。
「ぼくは今、こうした活動で、そんなに大きな収入はないけれども、実際に飯を食えるくらいは稼げています。若かったらもっとバリバリ稼げばいいんですけど、要は、こんなことでも飯が食えるんだというビジネスモデルをつくっていきたいんですね。そうすることによって、荒れた竹林が整備されることにもなるし、そうした活動に参加して、竹楽器を作ったり、音楽を演奏したり、あるいは演奏を聴く人たちにとっても豊かな時間を過ごすこともつながっていく。そんないいことばかりのことをしながらでも生きていけるといった人生の指針を示したいんです」
これまでの楽器製造や演奏に加えて、担い手となる竹チェロ・マイスターの育成をこれから本格的に進めていこうというのが、今後の計画だ。竹チェロ製作のワークショップを開催するのに、田中さんがひとりで講師を担当するのは限界もあるから、公認のインストラクターを竹チェロ・マイスターとして育成し、講師派遣ができる体制を作ろうというわけだ。すでに百数十名が体験している製作ワークショップをさらに広げるためにも、担い手の育成は欠かせない。
「この2月に、初めて本州のイベントからの参加依頼がありました。山口県の宇部市で開催した、演奏と竹がテーマの『うべの里アートフェスタ&うべの里生徒会ナチュラルフリマルシェ』というイベントへの出張コンサートです。廃校を活用した地域活性化事業の一環で開催したもので、竹の教室というコーナーの一つとして竹チェロの演奏を披露しました。全国各地で竹をテーマに活動している人たちがいるので、いっしょに盛り上げていきたいですね」
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