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「ドイツ市民の食と暮らしの安全づくり」バックナンバー

0102014.04.30UPドイツ人の食と暮らしのリスク意識(2)

事故後の「不安」が、市民の行動の原動力

 チェルノブイリ後の市民生活の混乱(コラム003参照)で述べたように、放射能汚染に対する不安は、特に小さい子どもを持つ母親たちを中心に急速に広まっていきました。その不安はコラム009で述べたように、事故によって突然、食や暮らしのなかに入り込んできた放射能汚染の前に、人間の支配やコントロールが無力であることを悲観するリスク意識から生まれたものでした。
 もともとドイツ人は、自分の暮らしの隅々を自分でコントロールすることを好む傾向があり、掃除や整理整頓が完璧な家庭が多いのですが、このような事態に直面し、自分が日常的に行ってきたことが正しく行えなくなって強いストレスを感じるようになりました。しかもこれが自分の選択の結果ではなく、突然外部から無理矢理押しつけられたものだったため、政府や行政が適切に情報公開をしないことに不信感を抱き、「見捨てられた」とすら感じるようになりました。
 各地で市民測定所が設立されたのは、このような先の見えない不安のなかで、市民が何とかして自分たちの生活をコントロールする主導権を取り戻そうとする動きによるものでした。市民は、政府や行政に対する不信感を、自分たちの活動の輪を広げて信頼関係を築きあげていくことで、埋め合わせていったと言えます。人間の能力の悲観から生まれたリスク意識は、科学至上主義を戒める機能を生み出したとともに、複雑化・大規模化した科学技術の想定外の事故において、近代社会の政府も行政も対応できない不確実性のなかで、市民が行動を起こそうとするモチベーションにもなりました。

市民測定活動は、次の行動の「ビジョン」を描く

コラム005で紹介した『ザ・ルーペ』(1988年12月/1989年1月号)。クリスマス特集なのでルーペがサンタの帽子をかぶっています。
コラム005で紹介した『ザ・ルーペ』(1988年12月/1989年1月号)。クリスマス特集なのでルーペがサンタの帽子をかぶっています。

 市民測定活動によって生み出された測定値は、客観的な情報が圧倒的に不足したなかで、市民の生活のコントロールを可能としました。
 例えば『ザ・ルーペ』は小冊子の形で、約3年間、毎回15,000人の市民に拡散されました(コラム005参照)。不確実な情報を最大限に活用して次の行動を決める方向性が見いだされ、それが広く公開されることによって、多くの市民に対してもオルタナティブな行動の方向性、つまり「ビジョン」を示すことができたのです。
 毎日安心して買い物ができることのかけがえのなさは、事故や災害を経てはじめて実感されるものかもしれませんが、平時の状態が保てなくなっている時、行政にだけその回復の任を負わせることは難しいでしょう。むしろ有事の状態こそ、市民が連携して行動できるような方向性の「ビジョン」をつかむことが大事です。そのためには平時からリスク意識を高く持ち、「このシステムは機能しないかもしれない」、「思いもよらないところに影響がでるかもしれない」という前提に立った、食や暮らしの安全づくりが必要です。

チェルノブイリ後のドイツ反核運動の変化

ドイツで最初のエコ電力会社をシェーナウ村に設立したスラーデク氏。2013年ドイツ環境財団のドイツ環境賞を受賞((c)DBU/Patrik Seeger)
ドイツで最初のエコ電力会社をシェーナウ村に設立したスラーデク氏。2013年ドイツ環境財団のドイツ環境賞を受賞((c)DBU/Patrik Seeger)

 チェルノブイリ後のオルタナティブな行動のビジョンとしてはじまった市民測定活動は、市民が不安を抱くことの正当性と、それを指針とした行動力の獲得を可能としました。それまで反核運動に無縁だった都市住民も、子どもを持つ親たちを中心として、「我が身に降りかかるリスク」に不安を抱き、反原発運動にかかわるようになりました。
 ハンブルクやブレーメン、ベルリンからは、高レベル核廃棄物処分予定地のゴアレーベンに、ミュンヘンやフランクフルト、ボンからは、使用済み核燃料再処理施設建設計画のあるヴァッカースドルフに、都市住民が大挙して押し寄せました。
 また、ドイツ南西部シェーナウ村では「原子力のない未来のための親たちの会」が結成され、2013年にドイツ環境賞を受賞することになる再生可能エネルギー自治運動である「シェーナウ電力有限会社」の母体となりました。中心人物のスラーデク氏は、(チェルノブイリ以前は)「政治に興味がなく自分の家庭を守ることに専心する、典型的なドイツの主婦だった」(青木 2013, p.199)のですが、原発への「不安」から再生可能エネルギーの「ビジョン」を提示するにいたっています。
 リスク意識によって、多くのオルタナティブな行動の拡大が見られ、普通の主婦にまで参加者の輪が広がったことが、チェルノブイリ以降のドイツ反核運動を特徴付けています。

市民の行動が、行政の監視役・コントローラーとなる

 さらに、市民の動きを受けて、行政の対応も変わっていきます。活発な市民測定活動が見られたベルリン市州では、市民測定所が縮小していったあとも、行政の測定は毎日行われ、サンプル数も増加し、地元紙への測定結果掲載も長期にわたって続けられました。他方、行政としてもっとも厳しい基準値を設定していたはずの革新自治体だったヘッセン州(コラム003参照)では、翌年(1987年)になって保守政権が成立すると、行政による測定が月2回に減少し、基準値は20ベクレル/kgから、EC基準値すら上回る630ベクレル/kgに引き上げられました。事故当時のヘッセン州政府は環境政策に熱心で市民の信頼が高く、市民自ら測定する必要がなかったため、逆説的に、活発な市民測定所活動は展開されなかったのです。
 これに対しベルリン市州では、当初の行政の測定は満足のいくものではなかったため、それに対するオルタナティブな行動オプションとして市民測定活動が、監視役やコントローラーの役割を果たすようになり、結果的に行政対応の充実を導いたと言えます。ベルリン市の市民測定所の1つであった放射線テレックスのトーマス・デルゼー氏(コラム007参照)は、2011年4月に横浜市の母親からの問い合わせに応える形で、「チェルノブイリ後のドイツの経験から判断するに、市民が独自の測定所を設置した地域では、当局(市)も測定活動を始めています」というメッセージを送っています。
 実は、日本でも同じように、市民測定所のある自治体の測定件数が他地域に比べて多いという傾向が一部で見られています。26年前のドイツと同じように、市民の自発的な動きが監視役・コントローラーとなり、後追いで地方行政の対応が行われる現象が見られているのです。

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