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「ドイツ市民の食と暮らしの安全づくり」バックナンバー

0072013.07.30UP科学者達のネットワーク「放射線防護協会」

不安の中での異例のパンフレットの売れ行き

 普段ラジオやテレビを視聴しない西ベルリン(当時)の科学ジャーナリスト、トーマス・デルゼーさんが、新聞記事でチェルノブイリ事故を知ったのは、事故発生から2日後の1986年4月28日でした。“圧倒的な情報不足”(コラム01参照)の中、トーマスさんは、当時のベルリン医師連盟代表だったエリス・フーバー博士にその日のうちに電話し、事故の現象を記録して、健康被害の見通しを公開することで合意します。
 2週間後、ベルリン医師連盟の健康部局から『チェルノブイリ 健康被害の評価』と題するパンフレットが発行されました。執筆者は、医師であるフーバー博士、社会学者のブリギッテ・イーヴェルトさん、そしてジャーナリストのトーマスさんです。
 根拠のない安全報道や情報不足によって市民が不安に置かれていたこの時期の反響は大きく、わずか3ヶ月で3版を重ね、42,000部という異例の売れ行きとなりました。  「人々は至る所で不安になっていました。政治家の安全報道は信頼されず、食品、土壌、大気、水の測定値は不明瞭で、政治責任は曖昧にされ、状況は悪化する一方でした。危険性を隠蔽するため人々の口をふさごうとしているように見えたのです。真実のデータが必要とされました」
 トーマスさんは当時をふり返って、そう述べています。

政府の“不都合な真実”

 パンフレットの冒頭には、以下のような警告が書かれています。
 「チェルノブイリ原発事故で、放射性物質が環境に放出されました。放射性粒子を含んだ雲には、広島の原爆の約1,000倍の放射能が含まれていると見られ、程度は違えども全ヨーロッパの上空に広まりました」
 連邦政府と政府系の専門家が、「ドイツに危機はない」(コラム02)としていたのとは対照的です。政府は、当時のソ連政府の説明そのままに、「原子炉内放射性物質の3~5%しか放出されず、残りは石棺に埋められた」と伝えていました。しかし実際は石棺に封じ込められたはずの放射性物質はほとんど残っていなかったことが、モスクワのクルチャトフ研究所物理学者のコンスタンティン・P・チェトシェロフ博士と、旧東ベルリン出身の物理学者セバスチャン・プフルークバイル博士が2002年に出演したテレビ番組で明らかにしています。両博士は番組内で、西ドイツ政府がソ連当局の発表をもとに被害を矮小化したと厳しく批判しました。
 当時は東西冷戦のただ中で、東西に分かれていたドイツは米ソの核配備の最前線となっていました。もし核戦争が勃発したらドイツはその「爆心地」(グラウンド・ゼロ)になる可能性があったため、東西政府は互いに親ソ、親米の緊張関係にありましたが、このときだけはどちらもソ連政府の発表に対して奇妙な一致を見せていたのです。
 イデオロギーに関わりなく両陣営にとって“不都合な真実”があることに薄々気づきはじめた市民は、国家体制を批判的に捉え、自らの情報収集と発信に取り組むようになります。事故から3年後のベルリンの壁の崩壊と東西ドイツの統合は、このような東西ドイツの内部からわき起こる自立への希求の結果でもありました。
 そのような中、健康相のリタ・ジュスムート氏は記者会見で、放射線の長期的影響に関する質問を巧みにかわしました。
 「もし幼児が1リットルあたり500ベクレルの牛乳を1週間、毎日飲んだとしても、甲状腺内のヨウ素131は30ミリシーベルトにしかなりません。放射線防護条例では150ミリシーベルトまでの被ばくを認めています」と語ります。
 しかし、政府への信頼が失墜した状態では、いかなる安全報道もむなしく響くだけでした。

チャリティーコンサートで資金を集める

当時の測定所の様子(右)と、会誌『放射線テレックス』を手に買い物をする女性(左上)。出典:DAYS JAPAN 21「福島の行方」(2011年、写真は1987年当時の広河隆一撮影による)
当時の測定所の様子(右)と、会誌『放射線テレックス』を手に買い物をする女性(左上)。出典:DAYS JAPAN 21「福島の行方」(2011年、写真は1987年当時の広河隆一撮影による)

『放射線テレックス』の活動をふり返るトーマス・デルゼー氏(筆者撮影:2011年8月)<
『放射線テレックス』の活動をふり返るトーマス・デルゼー氏(筆者撮影:2011年8月)

 『ザ・ルーペ』を発行していたエリザベートさんたち(コラム0405参照)のように、当時ベルリンには子どもたちを放射能汚染から守ろうと、食品による内部被ばくを防ぐための市民グループが多数立ち上がりました。これらのグループをまとめて、より効果的な情報発信をしていくために、"Verein Aktiv gegen Strahlung e.V."(放射能汚染とたたかう会)という団体が立ち上がります。
 まずはベルリン市内の“Waltbühne(ヴァルトビューネ)”野外音楽堂【1】でチャリティーコンサートを開催し、資金を集めることになりました。コンサートにはドイツで大人気のポップス歌手が勢揃いして、多くの市民が集まり、総額約500万円相当の資金が集まりました。
 チャリティーコンサートの収益金でゲルマニウム半導体検出器を購入した「たたかう会」は、化学や核物理で博士号を持つ科学者たちとともに、測定活動をはじめます。継続的に資金を得るために、放射能汚染に関する専門の冊子を発行することを決め、科学者や医師といった専門家と幅広いつながりのあるトーマスさんが、その編集責任者になります。1987年1月に第1号となる『Strahlentegramm(放射線テレグラム)』を発行。次号から『Strahlentex(放射線テレックス)』と名前を変えて、測定値とともに、放射線に関する最先端の研究成果を公開していきます。この会誌は今ではドイツで唯一の放射線防護の専門誌として定着しています。当時は2週間に1度でしたが、現在は月に1度の刊行です。
 ベルリン市内の流通食品のうち、まずは乳幼児が摂取する牛乳を、できるだけ広範囲に体系的に集め、測定しました。公的機関の測定では、商品やメーカーの名前など特定できる情報は記載されていませんが、『放射線テレックス』では、エリザベートさんたちの『ザ・ルーペ』と同様、全ての詳細情報をオープンにしました。当時は、商品情報を詳細に掲載することに対する法的な制限がありましたが、トーマスさんたちは、「商品テスト財団【2】という1964年設立の財団のアドバイスを受け、政治的に公正中立な立場で、測定方法に関する情報(測定器、測定方法、誤差や不確かさの範囲など)も明記し、測定結果に間違いが無ければ、「報道の自由」の範囲内で商品情報を公開する事ができるということを確認し、その手順をきちんと踏んで公開していきました。また、高濃度汚染食品の保管、メディアのバックアップなども重要でした。こうして『ザ・ルーペ』とともに、毎日の食品選びになくてはならない存在となった『放射線テレックス』の定期購読会員数は、約3,000人にまで上りました。

科学者や専門家たちのネットワーク

日本の市民測定所の招きで来日し、講演するフォイヤーハーケ博士(左、オットー・フーク研究所の設立者でECRR会長)とプフルークバイル博士(右、ドイツ放射線防護協会会長)(筆者撮影:2012年6月)
日本の市民測定所の招きで来日し、講演するフォイヤーハーケ博士(左、オットー・フーク研究所の設立者でECRR会長)とプフルークバイル博士(右、ドイツ放射線防護協会会長)(筆者撮影:2012年6月)

 『放射線テレックス』には、測定結果だけでなく、放射線の健康影響に関する物理学や医学の最新の論文が掲載されています。その後、「たたかう会」は、多数の科学者のネットワークによる「ドイツ放射線防護協会」となり、2007年時点で17人の医学博士や物理学博士が名を連ねる、放射線防護の学術専門組織となりました。1999年からは、欧州放射線リスク協会(ECRR)理事で、先述のチェルノブイリ事故に関する政府対応を批判したセバスチャン・プフルークバイル博士が会長に就任しました。プフルークバイル博士は2007年、ドイツ環境省の委託研究「原子力発電所周辺における幼児発がんに関する疫学的研究」の研究メンバーにも加わり、原発から半径5km以内に住む5歳以下の子どものガンリスクは60%、白血病リスクに至っては120%上昇すると発表しています。
 協会と協力関係にある団体としては、コラム06でご紹介した「オットー・フーク放射線研究所【3】があります。また、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)や、ブレーメン大学、マールブルク大学、ミュンヘン大学、ミュンスター大学とも連携しています。
 1995年4月から、会誌『放射線テレックス』には、電界や磁界が環境や健康に及ぼす影響についての専門情報を提供する『電子スモッグレポート』が加わるようになり、放射線だけでなく広範な科学技術リスクの健康への影響についての専門誌になっていきます。2006年からは、ケルンのカタリーゼ応用環境研究所の生物学者イザベル・ヴィルケ博士が編集長になっています。
 日本の市民測定所は、ドイツの事例に比べて、大学の専門家のサポートが少ないのではないか、とトーマスさんは語ります。世界にまれに見る技術大国である日本には、立派な大学も測定機材もたくさんあるのに、311以降、なぜ市民と協力して細かく測定を行っていかないのか疑問に感じるのだそうです。
 低線量の放射線の影響は専門家でも意見が様々に分かれるものなので、国や大学だけでなく、民間の独立した組織による、多方面からの検証が行われることによってはじめて、偏らない客観的な見解にたどり着くことができます。ドイツの市民科学者や市民化学組織の裾野の広さは、的確なリスクアセスメントを導くために重要な役割を担っているといえます。

311後の日本への積極的な支援

 市民の関心が低下するにつれて多くの市民能測定所が相次いで閉鎖するなか、放射線防護協会はキールやミュンヘン、ウィーン等、まだ引き続き活動している測定所や運動と協働し、測定を続けていきました。チェルノブイリ事故から7年後の1993年末、加工食品にもあまり汚染が検出されなくなってきたことで、測定活動は停止します。その後は『放射線テレックス』の発行を通じて、放射線の健康への影響について独立した研究を続けています。
 2011年の日本の原発事故後は一転し、問い合わせが殺到。専門家のネットワークを活かして、素早く状況を把握するとともに、日本に向けた提言・勧告を積極的に行うようになります。
 3月20日には早くも、「日本における放射線リスク最小化のための提言」を発表し、国の基準では高すぎるので、17歳以下は4ベクレル/kg、18歳以上は8ベクレル/kgにするべきだと提案しました。
 9月にはIPPNWドイツ支部と共同で、「あらかじめ計算された放射線による死:EUと日本の食品放射能汚染制限値」において、EUと日本の制限値の計算根拠の問題点を科学的に指摘したほか、11月27日には「日本政府への放射性物質拡散禁止の勧告」を記者発表しました。
 さらに、日本全国の47都道府県で、主に食品検査に必要な測定器を寄贈する募金を始めており、2011年11月に最初の送金をしています。この日本の市民測定所との連携は、現在も続いています。2012年には、日本人の放射線リテラシーを楽しく向上するための「放射線カルタ」を日独2カ国語で作成してくれました。ちなみにトーマスさんのお連れ合いのアネッテさんは、日本学を専攻し日本にも留学経験があるため、日本語がとても堪能です。

 原発事故はどこで起こっても「想定外」のために、ゼロから対応策を作っていかなければなりません。私たち日本人は、不幸中の幸いながらドイツの独立した放射線防護の幅広い経験のおかげで、最初の一歩の知見を得ることができました。このような経験を今後は私たちが次の事故のために活かすことができるようになっておく必要があります。その前に、事故が起こらないことが一番ですから、脱原発に向けて踏み出せるかどうかが重要になってきます。

 より詳細なレポートはこちらを参照: 『市民測定のすすめ』放射能汚染はこれからどうなるのか ドイツの体験から(おすと えいゆ著)

脚注

【1】“Waltbühne(ヴァルトビューネ)”野外音楽堂
 ヴァルトビューネとは、日本語で「森の舞台」という意味。ヴァルトビューネ野外音楽堂は、毎年夏にベルリンフィルハーモニーの野外コンサートが開かれ、内外の著名な指揮者が登壇することでも知られている。
【2】商品テスト財団
 1964年に国によって設立された消費者団体。中立な立場で様々なジャンルの商品を科学的に分析し、その結果を公表するもので、現在消費者にとって最も権威ある品質管理団体となっている。
http://www.test.de/
【3】オットー・フーク放射線研究所
 同研究所の設立者であり、現在ECRRの会長を務めるインゲ・シュミッツ・フォイヤーハーケ博士は、311後、日本の市民測定所の招きで、ドイツ放射線防護協会会長のプフルークバイル博士とともに来日し、放射能汚染の健康への影響について講演している。

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