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「カナダ・イヌイットの暮らし」バックナンバー

0072010.11.09UP極北のスーパー

はじめて行った極北のスーパー

スーパーで買い物

スーパーで買い物
スーパーで買い物

 カナダ極北地帯に行くまえ、イヌイットの村がどのようになっているのか、まったく想像することができませんでした。本で読んで多少の知識はありましたが、彼らがどのようなものを食べ、どんな生活をしているのか、想像しながらワクワクしたものです。
 1990年7月、空港に降り立ったとき、ひんやりとした風が肌を刺したのを覚えています。すっかり夏気分のぼくはトレーナー一枚でフロビッシャー・ベイ(現イカルイト)に到着しました。しかし、防寒具を何も持っていない……そこで、最初に父親と行ったのは、町のスーパー。今でこそ人口6000人を超え、スーパーが何軒もあり、専門店、レストラン、ホテルなども数軒あるヌナブト準州の州都イカルイトですが、当時はまだ発展途上でした。
 極北の村のスーパー【*】に行くと、ところ狭しといろいろな品物が並んでいます。果物、肉、野菜、缶詰、洋服、工具類、子どものおもちゃ、家電、ゲーム機……。ワクワクしながら店内を眺め、防寒具と釣り具を買ったことを今でも思い出します。

品物はどこからくるの?

港に商品が届く。日本製も多い
港に商品が届く。日本製も多い

 陸の孤島の極北の村。品物はどこからやってくるのでしょうか。氷が溶けている夏の期間はカナダ南部の都市からバーチ(大型船)が品物を運んできます。海が氷に閉ざされている時期は飛行機で定期的に品物を運びます。バーチが村に近づき、港に荷物を下ろすと、村はちょっとしたお祭り騒ぎになります。バーチが来るのは、年に1-2回、夏の期間だけですから、大型商品などは、1年も楽しみにしていたものが届くわけです。食品にしても、品切れになっていたものや、新製品が届く。冬の時期などは賞味期限切れの缶詰や黒ずんだ野菜が並んでいますが、このときばかりは商品が一新されます。

 昨今ではこの買い物事情に少し変化があります。一昔前は学校や役場など限られた場所にしかなかったコンピューターがここ1-2年、各家庭に普及するようになりました。小さな村にもインターネットが開通し、ほとんどの家庭に高速無線LANがつながっています。これまでスーパーで買い物するか、もしくは、通販雑誌で少しおしゃれな買い物をするしか選択がなかったのが、輸送費は多少高くつきますが、インターネットを通して、世界中からあらゆるものを買うことができるようになりました。インターネットが知見を広げ、世界を変える。隔絶された地域ほどこの傾向は強いのではないでしょうか。

 さて、バーチの話に戻ります。新たな品物が届くということは、そのぶん、ゴミが増えるということになります。003「水とゴミはどこにいくのか」でも触れましたが、小さな村ではどうしてもゴミ処理能力に限界があります。大型のゴミは一部、カナダ南部の処理施設にバーチで運んでいるようですが、持ち帰ることができるゴミの量にも限界があります。昨今では各村、ゴミ問題に頭を悩ませており、リサイクル品をできるかぎり使用するようにするなど考えているようですが、なかなかうまくいきません。また、環境問題に対する意識も高まりつつありますが、村の人たちに浸透するにはまだまだ時間がかかると感じます。この点はまた次回以降に触れたいと思います。

ジュースが1本300円
村によってはジュースが1本300円もする

野菜を買う人はあまり見かけない
野菜を買う人はあまり見かけない

色鮮やかな果物も
色鮮やかな果物も

ときには黒ずんだバナナも置いてあり……
ときには黒ずんだバナナも置いてあり……

【*】スーパーができたのはいつ?
 イヌイットがスーパーで買い物するようになったのはいつが始まりなのでしょうか。簡単に歴史を振り返ってみたいと思います。
 004「現代的狩猟活動」でも書きましたが、1911年、チェスターフィールド・インレットにハドソン湾会社の交易所が開設されたのを皮切りに、19世紀半ばまでには現ヌナブト準州の各地に交易所が開設されました。現在、この交易所の跡地はスーパーになっており、倉庫にはそのことを示す看板がかかっています。交易所はスーパーの原型、といえそうですが、現在のスタイルになったのは、1950年代後半から1960年代半ばです。この時期から各村に生活協同組合、医療所、学校などの施設が建設されるようになりました。
 人口200人の小さな村でも、人口6000人の村でも、かならずあるのは生活協同組合運営のスーパーです。スーパー、教会、学校、医療所には自然と人が集まってきます。とくに、スーパーは一種の社交場の役割を果たしています。
 なお、ハドソン湾会社については、文化人類学者のロバート・マッギーの著書のなかに、以下のような解説があります。「イギリスのカナダ貿易を独占していた王立特許企業体。1670年に特許を与えられて設立され、(中略)……奥地で開設した交易所のためにエスキモーの伝統文化に火器、鉄、タバコ、紅茶とヨーロッパ食品が加えられて、文化変容に拍車をかける結果となった。現在、ハドソン湾会社はすべての特許がなくなって一般の商社として活動しており、カナダの都会にもデパートを出している」(ロバート・マッギー、『ツンドラの考古学』、スチュアート・ヘンリ(訳)、有山閣、1982)。

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学校の宿題に役立った

(2015.08.11)

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