……ぼくがカナダ極北地方のイヌイットの村を、はじめて訪れたのは、1990年7月、10歳のころです。そのときからぼくはイヌイットの生活・文化、極北の大地に魅せられ、現地を数度彷徨(ほうこう)してきました。
イヌイットの家庭に滞在していてもっとも強く感じることがあります。それは「イヌイットと犬」のありかたの変貌(へんぼう)です。いまや、極北の犬は犬ぞりをひく「労働犬」ではなく、飼い主を癒す「愛玩犬」としての役割が大きいのです。
極北の犬――この言葉を聞くと、凍てつく大地で寒さをしのぎ、たくましく生きる、屈強なシベリアン・ハスキーのような犬を思い浮かべるのではないでしょうか。昔の極北の犬たちはたしかにこのような犬たちでした。厳しい環境のなか、長い時間犬ぞりをひきながら、イヌイットたちと旅をする。ときには狩猟の手助けをし、ときには目前に迫った危険を主人にしらせたり、ホッキョクグマに敢然と立ち向かい、みずからが犠牲になったりもする。生活のなかで、イヌイットにとって犬は欠かせない存在でした。
だらしない犬がいれば、それは直に人間の危険に直結しますから「労働犬」には厳しい規律と秩序がもとめられます。ですので、ときには厳しく接するときもある。犬ぞりで極北地域を旅した植村直己さんやイヌイットの村に滞在した本田勝一さんの著作には、イヌイットのみならず、彼ら自身の犬に対する厳しい姿勢が描かれています。
「ジャーマン・シェパードがいいな」「ブルドックのほうがくしゃっとしていて、かわいい」インターネットでさまざまな犬種を見比べながら、「愛玩犬」選びをする現代イヌイット家庭。昔ながらの「労働犬」として犬を見てきた老年層は違和感を覚える人も多く、若者に比べて、猫可愛がりする人は多くありません。
猫といえば、ぼくが滞在していた家庭に16歳の娘が一度猫を連れてきたことがありました。隣村の知り合いからもらってきた生後まもない子猫。子どもたちは大喜びでしたが、40代の両親はさすがに拒否反応を示し、翌日にはもういなくなっていました。
昔はハスキー系犬種が多かったのが、今ではさまざまな犬種が存在します。ほかの家庭とは違ったペットを所有する、一種のブランド感覚もあるかもしれません。昔ながらの犬もいることはいるのですが、子どもたちの遊び相手になっていて、なんだかひ弱に見えるのは気のせいでしょうか。無秩序に生まれる子犬たちに飼い主が対応しきれないケースも出てきています。大量の犬を飼うのには世話の手間暇のほか、えさ代などの維持経費もかかります。「労働犬」として飼う意味はないので、犬の虐殺などの新たな問題も出てきています。
貨幣経済の浸透とともに、交通手段としての犬ぞりはスノーモービルに取って代わりました。犬ぞりは存在しますが、観光や催し、レースなどで使用されることが多く、生活の一部分としての役割は少ないのです。
たしかに、犬は存在します。労働力として、同志として必要不可欠なものではなく、番犬として、ペットとして。数百年つづいていたイヌイットと犬の関係が、文明の発展によりわずか50年あまりで変わってしまう。小さなことかもしれませんが、ひとつひとつ極北の風景は変わっていきます。
面白かった
(2015.08.11)
学校の宿題に役立った(社会)
(2015.08.11)
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