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「住んで知った世界遺産・小笠原のリアル」バックナンバー

0012014.09.30UP世界遺産という言葉が一番ささやかれた年、小笠原に移住した

世界遺産登録への変化を知りたくて

東京と小笠原を結ぶ定期船「おがさわら丸」の父島出港風景。出会いと別れの交差する港。
東京と小笠原を結ぶ定期船「おがさわら丸」の父島出港風景。出会いと別れの交差する港。

 2009年5月26日、もう何十回とお世話になっている小笠原への定期船「おがさわら丸」に、愛猫・マウムと買いたての電動アシスト付き自転車とともに乗り込みました。初めて小笠原と出会ってから19年目、1年間限定の予定で小笠原に住むためです。目的地は母島。当時住んでいた横浜の住民票は母島に変更手続き済みです。これから1年、帰らなくてよい、島の暮らしが始まる!!
 私はライターです。いくつか追い続けているテーマの中で一番大きなものが小笠原でした。移住する前までに、おそらく70回ぐらいは小笠原に通い、それを文章にすることを仕事の1つにしていました。
 しかしいくら通っても、1年の間に島に流れる時間を体感しないと見えてこないものがあると以前から感じていました。そこで、仕事や金銭など諸々の条件が整った2009年、1年限定で「長期取材」のために島に住むことを決心したのです。
 小笠原は北太平洋上にある亜熱帯の島です。「小笠原諸島」というときには日本最東端の南鳥島、最南端の沖ノ鳥島までを含む広大な範囲に散らばる100以上の島々のことをいいますが、一般的に「小笠原」と言ったときには、聟島列島、父島列島、母島列島、硫黄列島の総称である「小笠原群島」を指すことが多いです。
 群島には30以上の島々があるけれど、人が住んでいるのは父島と母島のみ(硫黄島と南鳥島には自衛隊、気象庁職員が駐在しています)。中心となるのは父島で、総人口約2500人のうち2000人以上が住んでいます。私が移住した母島は、約450人が住む島です。
 一番大きな父島でさえ23.80平方キロ程度(東京都世田谷区の半分より小さい)の、小さい島々の集まりが小笠原です。

独自の進化と海洋島

母島南端部、南崎の美しい海
母島南端部、南崎の美しい海

 小笠原は誕生してから現在まで、他の大陸と一度もつながったことがなく、大洋の中で孤立しています。このような島を地理学用語で海洋島といい、世界的に有名なユニークな自然を持つガラパゴス諸島がその代表例です。小笠原もまた、小笠原にしかない生態系や生物の宝庫で、これは海洋島の特徴なのです。
 小さい面積なのに、固有種がたくさんいて、植物では67%(木本植物に限ると81%)、陸産貝類(カタツムリ)ではなんと90%以上が小笠原のみで生息しています。世界でここだけの生物と人間がとても小さな島の中で同居している、それもまた小笠原の特徴の一つです。

世界遺産が話題になる前の小笠原

兄島中央部に広がる乾性低木林の森。固有の生態系をもつ小笠原核心部のこの場所はかつて空港建設予定地だった
兄島中央部に広がる乾性低木林の森。固有の生態系をもつ小笠原核心部のこの場所はかつて空港建設予定地だった

 こうした小笠原の特異性は、私が初めて訪れた頃はほとんど注目されていませんでした。
 私は1990年に初めて小笠原に降り立ちました。降り立ったのは「船」からです。小笠原には空港がありません。しかも本州から遠く離れているため、当時は東京港竹芝桟橋から28時間かかっての到着でした(現在でも25時間半)。しかし当時、小笠原には中心となる父島のすぐ北にある兄島にジェット機用の空港を作る計画があり、1990年はその計画についての賛否双方の意見が飛び交っている時期でした。
 このときは私自身も小笠原の自然についてほとんど何も知りませんでした。奄美や沖縄と緯度がだいたい同じぐらいだけど何となく雰囲気が違う島、程度の認識で訪れたのですが、島の人たちから「この島はほかにはない特別な自然を持っている場所で、世界でここにしか生息していない生物がたくさんいる」と聞かされました。
 兄島はその象徴のような島で、空港の滑走路にしようとしている場所こそが、もっとも固有種が多い、小笠原にしかない生態系を持つ森が形成されている場所なのだと。
 結局、その後、環境省の英断とバブルの崩壊で兄島空港計画はなくなりました。さらに兄島は大規模な改変ができない自然公園法上の「特別保護地区」に指定され、開発はできないエリアとなりました。独自の生態系を持つ森が守られたのです。経緯は新聞やテレビでも報道され、この一件から「小笠原は特別な自然を持つ場所である」という認識が島内外に広がり始めたように思います。
 さらに今では、島の人誰もが普通に「固有種」とか「外来種」などと口にするようになっています。もちろんそれは、小笠原が世界自然遺産に登録されるという経験をしたからこそなのです。

小笠原が世界遺産に? にリアルを感じなかった2003年

 2003年(平15)、環境省と林野庁、文化庁が開催した「世界自然遺産候補地に関する検討会」で、初めて小笠原の名前が自然遺産候補地として出ました。登録への第一歩でした。
 候補地になった当時は、島の友人たちと「なんか、名前出てたね」「いやー、なるわけないんじゃないの? なったらどうなっちゃうんだろう」「候補になっても、これからいろいろあるし、どうなんだろうね?」……そんな話をした記憶があります。本当になりはしないだろうというニュアンスでした。
 しかし、国の機関がこうして検討会で名をあげたと言うことは、その後の実現に向けて調整や取り組みが始まったということでもあるのです。この検討会を受けて、その後の1年で準備を進め、このあとに控える登録への手続き(暫定リストの作成、推薦書提出)を2010年ぐらいまでに行うというシナリオが、関係省庁の間では作られていたのでした。
 それが目に見えてきたと感じたのは、2008年頃のこと。島の友人たちと話しているときに「世界自然遺産の登録に向けての動きで、島の中がすごい変化してて、みんなの気持ちがついて行けてない」という言葉を聞くようになってからです。島の友人の中には自然に関する仕事に就いている人が多く、仕事を通じて、何かを感じているようでした。
 登録に向けてのいろいろな動き……。それは今後具体的に記していきますが、簡単に言うと「守るために奪う」ことのやりきれなさのような、暗いトーンです。
 20年近く通ってきた小笠原が、変わるか、変わらないか? 自然遺産に対して島の人たちはどう折り合いをつけていくのか? それを知りたくて、移住を決心したのでした。

12月後半?5月上旬まで小笠原の海の主役となるザトウクジラ
12月後半?5月上旬まで小笠原の海の主役となるザトウクジラ

「死ぬまでに一度は見たい」風景として名前が挙がる南島
「死ぬまでに一度は見たい」風景として名前が挙がる南島


(写真はすべて筆者撮影)

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