緑の党
[ ミドリノトウ ]
議会に代表を送り、自然保護や脱原発、マイノリティの権利保護や国民投票などの政策課題を実現しようとする「政治的エコロジー運動」から生まれた政党。英語表記から「グリーンパーティー」または、その主要課題から「環境政党」などとも言われる。大量生産・大量消費のライフスタイルを見直し、既存の巨大企業や保守的な政治権力に対抗しようとする底辺民主主義を唱えて、フラットで権威のない組織づくりをめざしている。
「緑の党」は、1972年にオーストラリアのタスマニア州とニュージーランドで相前後して結成されたのが発端だった(当時の党名は異なる)。ヨーロッパ初の緑の党は、1973年にイギリスで結成され、1979年にはスイスで国会議席を獲得している。1980年代には東欧をはじめ、南北アメリカやアフリカ諸国にも広まり、1990年代にはアジアや太平洋島峡部諸国でも創設されるなど、今日には世界70カ国以上で結成されている。
90年代後半の脱原発ブームなどを背景に、緑の党は欧米地域を中心に勢力や知名度を伸ばし、ドイツやベルギー、フィンランド、スウェーデン、ラトビア、メキシコやブラジル、ケニアやブルキナファソなどで連立政権の一翼を担い、環境大臣らを輩出するに至っている。1999年の欧州議会選挙では第4勢力となり欧州議会に45議席を獲得。また、2000年の米大統領選では緑の党の推薦候補者が全米の3%の得票数を得ている。
2001年には緑の党世界大会がオーストラリアの首都キャンベラで初めて開催され、緑の党の世界連盟や世界憲章が制定される。その後欧州各地での失業問題や社会保障制度の行き詰まりを背景に、社会民主主義勢力とともに緑の党は一時勢力を後退させたが、2006年にはイタリアやチェコ、オーストリアなどの総選挙で国会議員を増やすなど復調の兆しが見えている。
緑の党の世界的拡大の背景には、グローバル化した地球経済にともなう環境破壊や貧困格差、地域紛争などの世界共通の課題に対する認識を、地域を問わず人々が共有し始めていることが挙げられる。一方で、既成政党にも環境問題への積極的な対応が必要との認識を高める要因のひとつとなってきた。
なお、「緑(グリーン;ドイツ語では"Grün" )」という表記は、ドイツの「緑の党」が1980年に国会選挙に臨んだ際に初めて使われ、以後定着してきた。