水俣病
[ ミナマタビョウ ]
1956年(昭和31年)に熊本県水俣湾周辺の住民に発生が報告された、手足の感覚障害、運動失調、求心性視野狭窄などを主症状とする中毒性の中枢神経系疾患。
チッソ(株)水俣工場(当時の社名は新日本窒素肥料(株))のアセトアルデヒド製造工程で使っていた無機水銀の触媒から生じた微量のメチル水銀が工業排水として水俣湾に排出され、生物濃縮を経て魚介類中にメチル水銀が蓄積し、それを大量に食べることによって発生した公害病である。
メチル水銀中毒の母親から胎盤を経由してメチル水銀が胎児へ移行し、言語知能発育障害、嚥下障害、運動機能障害を示す子供もみられた。これを先天性水俣病(あるいは胎児性水俣病)という。
また、1964年ごろから新潟県阿賀野川下流域でも同様の症状を示す患者が発生し、第2水俣病または新潟水俣病と呼ばれている。
なお、公害健康被害補償法の被認定者数は、熊本県1,791人(2023年2月末)、鹿児島県493人(2023年2月末)、新潟県716人(2022年2月末)である。(2023年4月改定)